歴史・戦史研究「ちはら会」Zwei

Yahoo!ブログ終了に伴い、引っ越しました。

2018年05月

この日の緒戦は、こまいふさんのマッチメークもあって、MCさんとの「シン・関ヶ原」(GJ)です。MCさんは若さに似合わず、かなりの論理派で、西軍による「早期の畿内制圧作戦」を考え出しています。当然、陣営は西軍(MC)対東軍(mitsu)となります。

序盤、西軍は大和の増田を攻め、これを陥落させます。ところが、確率的には落ちるはずの山城が第1ターンに落ちず(!)。それでも、第2ターンには伊賀経由で伊勢まで進出し、丹後攻略と合わせて、10VPを獲得します。

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これにより、「秀頼」投入が可能となり、第4ターンには南近江を落とし、一時的に「秀吉恩顧」が見込める12VPに。

これに対し、東軍は「約束状」を持って、山城の吉川を中立化し、さらに後詰めで南近江に進出した毛利も中立化させます。その上で東軍先鋒で伊勢を奪還します。

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第5ターン、後方から駆けつけた家康・黒田隊と宇喜多隊の決戦となります。結果は、東軍の勝利で、兵力的に東軍が優勢に立ちます。

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が、ここからが、西軍の遅滞戦術の見せ場でした。常に先手をとると、決戦を避け、足止め部隊で時間を稼ぎます。兵力差は広がるものの、巧みな「捨てがまり」によって、東軍は一歩も畿内に進入できず。

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最終ターンに、西軍が佐竹を参戦させたことでVPで差を付けます。結果、ほとんど西軍の主力は壊滅したにもかかわらず、判定勝ちになりました。

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個人的には、味方の増田を攻めるのはどうか、とか、盤上だけなら西軍の戦略的敗北、とか、史実的には「?」はありますが、ゲームとしては確かに有効でして。

このあたりは、「早期の畿内制圧作戦」を10戦以上やり込んだという、対戦差が出たかと思います。まあ、それでも東軍が対抗策を出して、最終ターンまで圧力をかけ続けたので、今回はよしかな~。

業務多忙でAARが遅れましたが、4月の茨城会に参加したので、アップします。

ゴールデンウィークの前半、圏央道を北上し、土浦の茨城会へ行ってきました。連休だけあって人出も多く、多彩な対戦が組まれていました。会場入りすると、名作の呼び名も高いシモニッチ氏の「Holland'44」がプレイされており。

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昼過ぎに一気に参加者が増え、「宇宙戦艦ヤマト」アイテムの「アイアン・デブリ・システム」(同人)が三卓も!同時に、自分も「リアル・バトル」(TDF)を対戦していたので、一時は会場にはB級しかない状態に!!こんないい天気なのに、室内でいい歳をしたおっさんたちが、おかしなゲーム三昧とは、ちはら会以上かな?(笑い)

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自分も、実に4種類のゲームで、なんと18戦(!)を楽しみまして。

シン・関ヶ原(GJ) ●東軍(mitsu)対西軍(MC)〇
秀吉怒濤の天下統一(GJ) 2戦
 〇秀吉側(mitsu)対反秀吉側(MC)●
 〇秀吉側(MC)対反秀吉側(mitsu)●
忍者大戦(WGJ)14戦(!) うち6勝
リアルバトル(TDF) S7「パーフェクト・ソルジャー」 イプシロン(mitsu)対キリコ(水戸爺)引き分け

例会後も、後泊で宿を取っていたので、5人で楽しい食事会へ。やっぱり、茨城会はいいな~。お付き合いいただいたみなさま、ありがとうございました。

さらに翌日は、偶然、筑波に来ていたTommyさんと待ち合わせして、茨城観光へ。当初は筑波山に登るはずだったのですが、前夜に酷いこむら返りとなり、急遽、旧帝国海軍飛行隊の記念館めぐりに。

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はじめは、笠間にある筑波海軍航空隊記念館へ。なんと展示館は、戦前の司令部後を利用していて、非常にリアリティがありました。あの「永遠の0」の撮影にも使われていて、当時のセットが再現されていました。

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午後は、三度目となる阿見再訪で、予科練平和記念館へ。いつもは倉庫内にある零戦21型の実物大レプリカが屋外に展示されており。

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こちらは、隣接する陸自の駐屯地内にある国産戦車一式。フェンス越しですが、61式、74式、90式が並ぶ姿はなかなか。

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最後に、茫洋たる霞ヶ浦を見て、茨城会番外編を終了しました、とさ。

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